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山口地方裁判所 昭和54年(ワ)16号 判決

原告

池田景一

右訴訟代理人弁護士

高井昭美

被告

中国自転車競技会

右代表者会長

畠山茂生

右訴訟代理人弁護士

末永汎本

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

原告と被告との間において、原告が被告の山口県支部支部長代理兼庶務課長たる地位を有することを確認する。

被告は原告に対し、金三、六九三、七二〇円を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

第二項につき仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨。

第二当事者の主張

一  原告

(一)  被告は、昭和三三年九月一日当時は自転車競技法に基づく社団法人山口県自転車振興会と称していたが、昭和三七年一〇月一日以降自転車競技法の改正により、特殊法人中国自転車競技会に改組され、広島県に本部を、同県、岡山県、山口県に各支部を置いて、右各県で行われる競輪の実施に関する事務を行うことを目的とする団体である。

(二)  原告は、昭和三三年九月一日被告の庶務課員として入会し、昭和三七年一〇月の前記被告改組以降は、防府市所在の山口県支部の庶務課長となり、昭和五〇年四月には山口県支部長代理を命ぜられ、以後山口県支部長代理と庶務課長を兼務して来た。

(三)  被告は昭和五三年一〇月四日、原告に対し、同年同月一日付で就業規則三二条一項一号により職を免ずる旨通告した(更に同月一六日付内容証明による通告もあった)。就業規則三二条一項一号は、職員が退職を願出て承認されたときは退職するとするもので、労働契約の合意解約を意味する規定である。

(四)  原告は昭和五三年九月二八日形式的には退職の申込みとみられる辞職願いと題する書面を被告代表者に提出した。右書面は「不公正人事行政を不服とする。右理由を以て今度辞職いたしたく、御願い申し上げます」と記載したものである。しかし、右辞職願い即ち原告の労働契約を解約したい旨の意思表示は、次のとおりの理由により無効もしくは取消さるべきものである。

(1) (辞職願提出までの経緯)昭和五二年一〇月一日被告の山口県支部に新らしく理事兼支部長として訴外大海富作(以下大海支部長という)が就任した。ところが大海支部長は、正当な理由なく原告を嫌い、被告代表者の会長にざん言をし、或いは他の職員のいる前で原告をののしり、更には原告が職務上接触の機会の多い防府市役所職員らに原告の悪口をいうなど、上司にあるまじき態度で原告を待遇した。このため被告会長が大海支部長と原告の間の融和を計るべく山口県支部に訪れたこともある。昭和五三年七月一八日には、大海支部長は、原告に職務上何ら非難さるべき落度がないにも拘らず、「この馬鹿野郎が、」とか「とぼけるな」と原告を罵倒した。同年九月四日原告は被告本部総務部長伊予良邦より電話で広島転勤を示唆され、同月八日には大海支部長に呼ばれて広島転勤を通告された。その際原告は、前記七月一八日の罵言についてその後大海支部長から何の挨拶もなかったので、まずその罵言を詫びてほしい旨求めたが、同支部長はこれを拒否した。同月一四日原告は広島において、前記伊予総務部長から転勤後の原告の地位は、広島県支部競技第一課長であると聞かされた。原告は同部長に広島転勤は健康上(肺結核)の理由から、通勤も単身赴任も体力的に自信がなく、家族事情(八三才になる老母の扶養、子の転校)から一家を挙げての赴任も困難で、無理である、と述べたが、結局転勤命令の撤回はなかった。

以上のような経緯から、原告は、前記転勤命令の主たる原因は、大海支部長との不和、同支部長のざん言とその画策にあるのであり、そのような理由に基づく転勤命令は不公正なものであって、支部長との不仲という客観的状況を打開するための転勤命令であるならば、喧嘩両成敗で大海支部長にも何らかの処分があるべきであるのに、原告のみを転勤させる処分は不公正である、これを何とか正してほしいという意味で、前記辞職願と題する書面を提出したものである。

(2) (心裡留保)右辞職願を提出したとき、原告は被告代表者に、「今回の原告に対する転勤命令は不当であり、撤回して貰えなければ、原告としてはこのような辞職願を出さざるを得ない。しかし決して退職したいのではないから、もう一度転勤命令を考え直してほしい」旨表明した。これに照らせば、原告の真意は、退職を求めるものではなく、原告に対する不公正な転勤命令の撤回を求めることにあったことが明らかであり、かつ被告代表者もその真意を知り、又は知り得べかりしものであったから、原告の意思表示は民法九三条により無効である。

(3) (錯誤)原告に対する前記転勤命令は、(イ)前記のとおり余りにも不公正であり、従って権限の乱用であって無効である。(ロ)単なる転勤命令でなく降級という懲戒処分を含むものである。即ち被告職員の職階上、山口県支部長代理から広島県支部競技第一課長に任ずるというのは降級の処分であり、就業規則上降級処分は懲戒処分とされている。そして懲戒処分をなすのである以上、当該職員に就業規則に基づく処分理由たる事実が存在し、かつその者にその旨が明示されなければならないものというべきところ、原告には右事実も存せず、またその旨の明示もなかった。従って就業規則違反の懲戒処分たる転勤命令として無効である。

しかるに原告は前記転勤命令を有効なもので、このままでは広島に転勤するか、退職するしかないと考え辞職願を提出するに至ったものであって、もし転勤命令が無効なものと知っておれば退職願も提出しなかった筈であるから、原告の意思表示は錯誤により無効である。

(4) (強迫)原告は昭和五三年九月一四日、前記伊予総務部長から転勤命令に従えそうでなければ辞職せよ、と云われた、これは強迫というべきであるところ、原告の退職の意思表示は右強迫に基づくものであるから、原告は本件訴状を以て右意思表示を取消す旨意思表示する。

(5) (民法九〇条違反)被告が原告の退職の申込を受諾する意思表示をしたのは、前記(1)記載の経緯のように、原告を違法に困惑させて退職願を提出させ、これを受諾したものであるから、右意思表示は民法九〇条により無効である。

(6) (同前)被告は、原告の提出した辞職願いは、不公正人事移動を辞職の原因とすると明記してあるので、受理できないし、退職も認めない旨右辞職願を提出したとき明言した。ところが原告が辞職願を書き直さないのに原告を退職させたものであり、右は、自己の明言に反した不信義な行為で、かつ原告の労働契約解約申入を撤回する時機を奪った不当な行為であるから、民法九〇条に反し無効である。

(五)  以上のとおり、原告の退職の意思表示は効力がなく、かつ転勤命令も無効であるから、原告は依然として被告の山口県支部長代理兼庶務課長の地位にあるものであり、また、原告は一ヶ月に本給諸手当等計金三六九、三七二円を受領していた。しかるに被告は原告の右地位を認めないので、被告に対し原告が右地位を有することの確認と、昭和五三年一一月から同五四年八月まで一〇ケ月分の前記本給諸手当合計金三、六九三、七二〇円の支払いを求める。

二  被告

(一)  原告主張(一)、(二)の事実は認める。同(三)以下の事実中、原告がその主張のような退職願を提出したことは原告主張のとおりであるが、その余の事実は否認する。

(二)  仮に原告にその主張のような錯誤が存したとしても、原告の経歴、職務内容からして、その意思表示をなすにつき重大な過失があるといわねばならない。

(三)  原告に対する転勤命令は就業規則に規定する懲戒処分としての降級ではない。労働契約において、使用者は労働力の処分権を取得し、その裁量に従い提供された労働力を按配して使用することができるのであって、特に労働の種類、態様、場所についての合意がなされていない限り、これらの内容を個別的に決定する権限を委ねられており、配置転換、転勤、昇格、降級等の権限がある。従って、その権限の行使が強行法規に違反せず乱用にわたらない限り有効であり、前記転勤命令は、就業規則第二二条一項の「本会の業務のため必要があるときは、職員は出張、転勤及び勤務替えを命ぜられることがある」旨の規定に則ってなされたもので適法である。

(四)  原告に、前記転勤命令が就業規則違反であると認識しておれば辞職願は提出していなかったであろう、との錯誤の因果関係を認めることはできない。

第三証拠(略)

理由

一  原告主張(一)、(二)の事実、及び原告が昭和五三年九月二八日「不公正人事行政を不服とする、右理由を以て今度辞職致したく、御願い申し上げます」と記載した辞職願いと題する書面を被告に提出したことは当事者間に争いがない。

二  原告は、右辞職願いの提出(労働契約の合意解約申入れの意思表示)は、無効もしくは取消されたものであるとする。即ち、まず原告は右意思表示は心裡留保(民法九三条但書)で無効である旨主張し、原告本人尋問の結果中には右主張に添う部分があるが、後記諸証拠に照らすと、右部分は措信できず、他には本件全証拠によるも、右原告主張を認めるに足るものはない。次に原告は錯誤(同法九五条本文)による無効を主張するが、右主張の前提をなす後記転勤命令が、無効であると認められないことは後記認定のとおりである。また、強迫の主張についても、被告の強迫により原告が前記退職の意思表示に至ったとの事実は、本件全証拠によるもこれを認めるに足るものはない。更に、原告を困惑させて退職願いを提出させ、或いは、退職願いは理由が不当であるから受理できないし退職も認めない、と明言しながら退職を発令したのは民法九〇条違反であるとの主張についても、(証拠略)には右主張に添う部分があるものの、後記諸証拠に照らすと右ら部分は信用できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

三  (証拠略)を綜合すると次の事実を認めることができる。

(一)  被告山口県支部においては、昭和五二年一〇月一日支部長(理事を兼ねる)の交替があり、もと防府市競輪局長であった大海支部長が、防府市役所を退職して新たに支部長に着任した。原告はかねて、被告の上層幹部に内部育ちの職員が任命されず、外部から移入される傾向の著しいことに不満を抱いていたが、大海支部長の任命に対しても所謂天下り人事であるとして強く反撥し、支部長に次ぐ支部長代理兼庶務課長の地位にありながら、同支部長の着任以来ことごとに反抗的態度を執り、同支部長に対し、業務の報告・打合せ・連絡など殆んどせず、或いは暴言を吐き、或いはその指示に従わず恣意的な行動に出るなど、本来支部長の意を体してこれをよく補佐し、一致協調して業務の統括、部下職員の監督指導に当るべきものが、支部長との間に甚だしい隔絶対立を生むこととなった。また、被告の業務である競輪の実施に関して、部外の競輪実施関係者に対する対応が不適切であるとして、同関係者から大海支部長に苦情が持込まれるようなこともあった。このようなことから、同年一一月ころから本部、各県支部の職員ら、更には部外関係者らの間に、山口県支部における大海支部長と原告の仲の不和隔絶の噂が出始め、また、同年同月一八日の役員会の際、大海支部長から会長に対し原告の言動につき報告がなされた。このため、同五三年一月、かねて原告とは親しい間柄であった本部総務部長伊予良邦が防府市に原告を訪れて、大海支部長と協調してやってゆくよう忠告し、更に同年二月一五日ころには、当時の会長であった山下正治が自ら防府に赴き、原告並びに大海支部長と面接して両者融和の労を執り、その際は両者とも今後の協調を会長に約したものの、その後も原告の言動にはさしたる改善がみられず、同年六月ころには、前記各地職員・関係者らに大海支部長と原告の噂が広く知れ渡るようになった。その結果、これを放置することはできないとして、同年七月ころ、原告を定期移動時期である同年一〇月一日付を以て広島県支部競技第一課長に配置換え(転勤)することが本部において内定した。その後、右転勤の内示を、不和の当事者である大海支部長からいきなり原告になすことは適当でないとの山下会長の配慮により、同年九月四日ころ、前記伊予総務部長が原告に架電して、転勤決定の旨を予じめ示達した。これに対して原告は「そうだろうなあ」と答え、予期しないではない口吻であったが、同月八日大海支部長が原告に前記配置換えを内示したところ、原告はこれに対し「わかった、ばかやろう、うそつき」などと暴言を以て応えたのみであった。ところが同月一四日ごろ、原告は広島に赴いて伊予総務部長に面接を求め、家族共々赴任することは家庭事情から無理であるし、かと云って自分では炊事もできないので単身赴任も困難である旨訴えたので、同部長は、その点は便利の良い住居を捜してやるからと、極力転勤して来ることを勧めた。然るに、同月一八日ころ、伊予総務部長が転勤後の住居のことについて原告に架電連絡したところ、原告は「転勤先の住居は要らない、辞める決心をした。」旨答えるので、同部長は冷静に考えて転勤して来るよう説いたが、原告は冷静に考えて退職することにしたとの応答であった。そのため、翌一九日ころには、会長代理として監事畠山茂生が伊予総務部長を同伴して防府に赴き、山口県支部前支部長河島茂の同席も求めて、駅前レストランで原告の慰留に努め、また、その後伊予総務部長は数回に亘り自宅から架電して個人的に慰留説得したが、原告はこれら慰留に応ぜず、同月二八日には本部に出頭して退職願いを提出するとのことであった。その他、山下会長は被告の参与藤井及び顧問である前記河島前支部長にも原告の慰留方を依頼した。

同年同月二八日原告が本部に出頭したので、山下会長自ら面接して慰留したが原告はこれを肯んぜず、辞職願いと題する書面を提出した。ところが右辞職願いに「不公正人事行政を不服とする。右理由を以って」との文言が記載されていたことから、会長は右文言は不穏当であるとしてこれを書き改めるよう求めたが、原告が書き改めるにしてもいつになるか判らない旨答えたため、退職発令までにはまだ日数があるので書き直すよう、それまでは辞職願いを預って置く旨述べるに止まった(辞職願いの日付は同年一〇月一日付となっていた)。原告は右辞職願いを会長の手許に差置いたまま会長室を辞し、玄関先で伊予総務部長に所持して来たネクタイを贈り、永い間世話になった旨礼を述べて退出した。その後原告が書き直した退職願いを差替送付して来ないため、同年一〇月二日被告は前記辞職願いを受理して原告の退職を発令した。同月四日被告山口県支部職員が退職辞令を原告宅に届け手交したが、原告は翌日支部職員を喫茶店に呼出し、退職辞令は会長から本人に手交すべき慣例であるから、そのやり方に従わない辞令は受け取れないとして、これを同職員に交付した。なお、原告はその後、支部職員、或いは関係者らの催した原告の退職送別会に出席している。

(二)  昭和五三年九月末当時、被告山口県支部は、大海支部長(理事)の許に支部長代理兼庶務課長(原告)、競技第一課長、同第二課長及び各課職員計一〇名から成り、他の各県支部の構成並びに人的規模もこれと同様であった。本部には総務部、業務部の下に四課あり(課長はいずれも各部長兼任)、その配下職員は計一三名から成り、以上本部・支部を会長が統轄し、これに監事及び顧問が付置されていた。被告の組織規程によれば、被告の職階は、本部において部長、課長、課長代理、係長、係員であり、支部において支部長、支部長代理、課長、課長代理、係長、係員であるが、支部長代理は、支部長を補佐し、支部の所管業務を処理するもの、課長は支部にあっては支部長又は支部長代理の命を受けて所管業務を処理するものとされた。また、その就業規則によれば、業務のため必要があるときは、職員は出張、転勤、及び勤務替えを命ぜられることがあり、退職を願い出て承認されたときは退職となるが、一方、職員が就業規則違反を犯したときは、違反の軽重に従い、戒告、減給、降級、停職または免職の懲戒処分が行われ、そのうち降級は「職位を下位の職位に変更する」ものと定められている。

(証拠略)中右認定に反する部分は前掲諸証拠に照らしたやすく措信できない。

四  前認定のところよりすれば、被告の原告に対する転勤命令は(現実には内示に止まり、原告の辞職願い提出により発令には至らなかったものではあるが)、山口県支部支部長代理兼庶務課長から、広島県支部競技第一課長への転勤並びに勤務替えを命ずるものであり、被告の組織規程上課長は支部長代理より下位の職位であることは明らかであるから、職位を下位に変更する勤務替えと云わねばならない。原告はこの点を捉えて前記転勤命令の実質は降級たる懲戒処分であり、かつそれは無効である旨を主張する。しかしながら、使用者は労働契約において労働力の処分権を取得し、右契約上労働の種類、態様、場所等について特に合意がなされていない限り、事業効率の向上のために、提供された労働力を自由な裁量に従い、業務の内容、職種、就労の場所などにつき適宜配置し、或いはこれを変更して使用しうるというべきであり、かかる転勤、配置替えには、それが多数職員を有機的に組織し就労せしめている使用者により、事業効率向上の目的を果すためになされるものである以上、下位の職位から上位の職位への変更(所謂栄転)や同等の職位の間のポストの変更と共に、本人の能力や勤務成績等を勘案した上位の職位から下位の職位への変更(所謂左遷)も含まれるものといわねばならない。もとより、広い裁量が認めらるべきにせよ、使用者が職員を左遷するには合理的根拠がなければならないのは当然であって、これを著しく欠くものは右裁量権の乱用となって許されないものというべきであるけれども、そうでない限りは、たとえ就業規則上降級が懲戒処分として規定されているとしても、それは懲戒処分以外に通常の転勤、配置替えとしての左遷(降級)を禁ずる趣旨のものと解すべきではなく、ただ、懲戒処分として降級が掲げられていることは、通常の転勤、配置替えとして左遷(降級)する場合にも、懲戒処分に謂はば準ずべき強い合理的根拠がこれに要求せられるものと解するのが相当である。ところが前認定の事実に照らすと、原告は大海支部長の着任を天下り人事として反撥し、同支部長に対しことごとに反抗的態度を執り、業務の報告、打合せ、連絡等も殆んどせず、対外的関係においても措置適切を欠くところがあり、山口県支部長と支部長代理の不和隔絶の噂は本部、他県支部更には対外関係者にまで拡まり、これを憂慮した山下会長や本部伊予総務部長のわざわざ赴いての忠告助言にも改まるところがなかったというのであるから、支部長代理として支部長を補佐すべき地位にあるものが殆んどその任を全うせず、むしろこれに逆行したものというべく、しかもたとえ天降り人事に対する義憤に端を発したにせよ、これら原告の言動が被告として是認できないものであることは、明らかである。そしてかかる事態は、被告として、その業務遂行上、また職員の指導統率上放置しておけないものであることは多言を要しないところであり、差し当り事態打開のためには、まず原告を大海支部長の補佐の任より外し、他に転勤させる措置が当然考えうるものであるところ、被告の機構、規模は比較的小世帯で原告の転勤先並びにそこにおけるポストも勢い限定されざるを得ず、しかもことの経緯に鑑み、少くとも他職員から栄転と評価されるような配置替えは、適当でないことに、広島県支部が原告現任地に最も近く、かつ、本部所在地の支部として一般通念的には所謂格の高い支部と観念される反面、本部上層幹部の監督指導も行届き易いことを考え併せると、被告が原告を広島県支部競技第一課長に転勤・配置替を決定したのは、充分に合理性ある措置であったといわねばならない。原告本人尋問の結果によれば、原告は広島への転勤を受け容れ難い理由として、肺結核で昭和五一年暮れから翌五二年六月まで入院したことがあり、当時も未だ一、二週に一回の通院と服薬を続けていたこと、弟夫婦の許にいる八三才の老母を話合いで原告の許に引取ることになっていること、小学六年の息子が神経質で転校させることが可哀想であることなどを、被告に説明主張したというのであるが、仮にそれらの事情が存したとしても、それらが広島への転勤の決定的障害となりうる事情とは考えられないばかりでなく、同じく原告本人尋問の結果によれば、原告は、伊予総務部長に、「この度の転勤については、大海支部長も懲罰的措置を受けるのならば判るが、自分のみ転勤という措置は片手落ちで不公正である。大海支部長にも何らかの措置が執られるというのであれば、転勤に応じ難いとの考えも変る余地がある」旨を述べ、前記九月二八日山下会長に面接した際も、自己のみ転勤させられることの不公正を強く訴えたというのであって、更に原告提出の辞職願いが「不公正人事行政への不服」を理由としている点も考え併せれば、被告が転勤を受け容れ難いとした主たる理由は、むしろ「人事行政の不公正」(大海支部長をそのままにして原告にのみ転勤を命じたこと)にあったことが窺われ、仮に前記障害事情が存したとしても、これを以て前判示の転勤命令の合理性を左右するものではないというべきである。

五  これを要するに、被告の原告に対する転勤命令は(発令されたとした場合)有効であり、これが無効を前提とする退職意思表示錯誤無効の原告の主張は、採用できないものであること明らかである。その余の原告主張も採用のよしないことは前示のとおりであるけれども、なお附言するなら、前認定の事実からすれば、むしろ却って、原告の退職の意思表示は当時真意にもとづくものであり、仮にそうでないとしても、被告においてその真意を知り又は知り得べかりしものではなかったこと、右退職の意思表示は何ら被告の強迫にもとづくものでも、亦被告が原告を違法に困惑に陥らせた結果によるものでもないこと、被告が原告に、退職願いの不穏当な文言を書き直さなければこれを受理せず、また退職も認めない、と明言したことはないことが明らかであるといわねばならない。

六  そうするとその余の点につき判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないというべきであるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西岡宜兄)

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